今日は2015年1月17日です。20年前の1995年1月17日の早朝、私は池田市のアパートで就寝中に大きな揺れに見舞われました。体の上に本箱が倒れてきて本が散乱し、台所の食器や蛍光灯が床に落ちて割れました。隣の部屋のパソコンディスプレイが机の上から放り出されて床に落ちました。ときおり襲ってくる余震におののきつつテレビをみていると、とんでもないことが起きていることが徐々にわかってきました。夜が明けてしばらくしてから、当時つきあっていた妻の西宮のアパートへ車で向かいました。国道171号線は渋滞しており、ところどころ亀裂が走り段差がありました。西宮に近づくにつれて倒壊した建物が目立ち始め、漏れ出す都市ガスの匂いが鼻をつきました。阪急今津線をまたぐ高架は倒壊して通行できなかったのを覚えています。妻のアパートの近くで車を止めると、呆然と立ち尽くす人や電信柱の下で毛布にくるまってうずくまっているおばあちゃん、完全に1階部分が潰れたマンションなど燦燦たる状況が目に入りました。妻の木造アパートは半分が潰れて傾いている状態でした。揺れた方向がアパートに対して縦向きだったとみえ倒壊は免れていました。横向きだったら完全にアウトだったと思います。私はあの日の景色を一生忘れないでしょう。
当時私は、大阪市内で開発の仕事に携わっていました。エンドユーザーは神戸のお客様でした。震災後、しばらくは神戸へ行く鉄道が遮断され客先へ出向くのが大変だったのを覚えています。大阪も若干の被害はありましたが棚が倒れたり書類が散乱したりした程度で、神戸の被害とは比べ物にならない軽いものでした。大阪はすぐに普通の生活に戻りましたが、西宮から神戸方面は通常の生活に戻るには困難が伴いました。追い打ちをかけるように東京ではオウムのサリン事件が発生し日本は西も東も大混乱。そういう大変な時に限って政治は社会党の党首が総理大臣を務める政権であったりと、日本は不運が重なりました。先の2011年3月11日の東日本大震災、原発事故の時に、民主党政権だったという不運もなにか因果を感じます。
そういう激動の年に私と妻は結婚しました。どうしてこの年だったんだろう?理由は思い出せません。なぜかこの年に結婚し、私の人生の分岐点となりました。そして私が生業としているIT業界もこの年に分岐点を迎えます。Windows 95 の発売です。Windows 3.1 の発売以降、国民機として親しまれた NEC PC-9801 のシェアは徐々に落ちてきていました。私はPC-9801という機種の隅々を熟知しコントロールする術を身につけていました。しかし Windows 3.1 の発売により徐々に DOS/V と呼ばれる IBM PC互換機がシェアを持ち始め、私の知識や技術の優位性が薄れていくことがはっきりしてきました。それは Windows 95 の発売によって決定的になります。そして Windows 95 の発売はインターネット時代の幕開けでもありました。パソコンという道具の使い方が大きく変わることになった分岐点となった年でもあるのです。
あれからもう20年がたったんですね。2人の子供に恵まれました。決して楽ではありませんが妻に助けられながら、なんとか生活させてもらってます。1995年に人生と仕事をリスタートできたことに感謝します。良い時もあれば悪い時もありました。今も決して状況はよいとは言えないけど、なんとか頑張っていきたいと思ってます。だいぶ息切れしてますけど。(^^;