あの日、私は客先の打ち合わせを終えて、当時身を寄せていた大阪市内の会社に帰って同僚と談笑していました。そんなときに突然大きな揺れに見舞われたのです。阪神・淡路大震災の記憶がない若い同僚は「こんな揺れは初めてだ」と言いました。私はとっさに「震源はどこや?」と叫んだのを覚えています。気象庁のサイトで震源を確認したときに血の気が引いたのを覚えています。あの揺れで震源が東北沖ですから、これは大変な地震だということはすぐにわかりました。阪神・淡路大震災を越える災害になると思いました。その後、ニュースで見た津波の映像は衝撃的過ぎて体が震えました。
私は、その後3月の下旬に、3.11に打ち合わせに行った客先のプロジェクトへ参入し、数か月間を夜遅くまで仕事に追われることになりました。地震のこと原発のことなど考える暇はありませんでした。毎日のように現場では客から罵倒され、仲間から罵倒されながら仕事を続けるうちに体を壊してしまいました。そしてその年の夏には、とうとう会社を去ることになってしまったのです。自分に自信がなくり、どんどんと人と喋ることが難しくなり、薬に頼った生活を続けることになったのです。
3.11 の記憶は私自身の暗黒の時期のスタートと重なって複雑な記憶として残っています。私の中では地震や原発の恐しさとともに、仕事への恐怖、対人関係への恐怖が重なった嫌な思い出となっています。今は回復していますが、何かのきっかけで元の状態に戻るのではという恐れを抱いています。ですので、3.11 前後の東日本大震災のニュースや特番を見ることができません。本来は、震災で被害にあった方々に寄り添って助けなければならないのに情けない限りです。
以上、3.11を迎えて、役立たずの自分勝手な雑感でした。。。