フリーランスという生き方

 自分の職務経歴書の1行目に、「1987/9/1~1991/6/30、学習塾、成績、営業管理システム設計・開発・運用、NEC PC9801 MS-DOS、dBASE III, C, ASM」とあります。私とコンピュータの出会いはここから始まりました。社会人になって会社に就職して、そこで初めてコンピュータと関わりを持つようになったのです。あれから28年になります。この最終年月1991年6月が、新卒で採用していただいた会社の退職年月となります。以後、派遣のプログラマーを皮切りに、契約社員や、時には社員という立場で様々なシステム開発に携わることとなりました。

 実は私、コンピュータや情報工学など専門的な教育を受けたことがありません。最初に入った会社では、途中からシステム部門(と言っても私と先輩の2名だけ)に配属されて自社システムの開発に携わりました。先輩に色々と教わりながら自分でも貪欲に勉強していきました。FORTRAN, C, 8086アセンブラは独学で勉強しました。本や雑誌を買いあさって、プログラミングやハードウェアの知識、システムの構築方法を学びました。当時はインターネットのない時代でしたが、ちょうどパソコン通信がはやり始めた頃でして、1200bps のモデムを繋いで草の根ネットへも出入りして諸先輩方に色々と教えてもらいました。そんな会社を退社した一番の理由は、自分の力を試してみたくなったからです。今考えてみても無謀な行動でした。実際、現実はそう甘くありませんでした。当時、バブルがはじける前でしたが、ろくなスキルもない人間を雇ってくれるような企業はありませんでした。結局、行き着いた先は小さな人材派遣会社。そこから派遣された会社で、あるソフトウェア開発プロジェクトに参加することになったのです。

 さて、初めてプロジェクトでの仕事はどうだったかというと、おかしな話ですが、私自身プログラマーとして十分やっていける自信を持ちました。チームの事情が特殊だったのかもしれませんが、プロジェクトのメンバーは経験のあまりない人ばかりでした。ひどい人は、ついこの間までアパレル関係の仕事していたとのこと。おいおい、本当にこんなのでいいのか?と思ってしまいました。給料は、ボーナスこそありませんが、月々、以前の会社で貰っていた月給の2倍程ありましたので満足して仕事をやってました。今思えば、この頃は派遣という搾取の構造が見えていない幸せな時期だったのかもしれません。しばらくの間は、派遣という形態で色々なプロジェクトを渡り歩きました。PC以外にも、UNIXや汎用の仕事に参加する機会を得られましたので、自分自身の勉強にもなりました。

 しかし、そうやって仕事をこなしているうちに業界の裏側が見えてくるものです。派遣先からまた別の会社へ派遣されるのは当たり前ですし、派遣された先のプロジェクトが、下請けの下請けだったりすることもあるわけです。元請けから数えると、自分は5次請け、6次請けになることさえあります。間に入っている会社は、人を紹介するだけで、ろくな研修、管理もせずに儲けています。(※現在は偽装請負の禁止など法で制限されています。でも実態は同じ構造であることは皆さんご存じでしょう)人さえ手配すれば儲かるわけです。とにかくまず人を送り込むこと。これが重要なんです。プロジェクトが立ち上がるタイミングでできるだけ多くの人員を送り込むことが売上増に結びつきます。問題が発生したらその時点で人の入れ替えを考えます。手駒に適当な人がいなければ、他の同業者から手の空いた人員を手配する。どうしても問題がこじれるようならスキルの高い人を火消しとして送り込んで収束させるわけです。結局のところ、開発期間は延びて人件費もかかってしまいます。このようにして間に入っている会社はプロジェクトを食いつぶしていきます。ひどくなるとプロジェクトは崩壊し、巨額の資金を投入したにもかかわらず動かないシステムだけが残ってしまうのです。このようなひどい状況がバブルの頃はよく見受けられました。バブルがはじけて、人売りのみの会社はかなり淘汰されました。しかし程度の差はあれ現在でも構造は同じです。ソフト会社の多くは、社員や外注を客先へ出向させて開発を行っています。ソフト会社を経営する側にとっては、そのほうがコストがかからないので好都合なのでしょう。私は、こういった人売りの理不尽さを理解するにつれて会社へ帰属することが嫌になってしまいました。元々組織に属することが苦手ということもありフリーランスという生き方を選択するしかなかったのです。

 フリーランスという立場では、それなりに仕事がある間はなんとなくやっていけるものです。しかし仕事がなくなると、守ってもらえる組織がないために一気に厳しい状況に追い込まれることとなります。最近では2008年9月から始まったリーマンショック。この時は1年間仕事がない状況に追い込まれました。派遣や契約社員の募集を120社受けましたが全てダメ。私の場合年齢的な問題も大きかったと思います。それでも、なんとか採用してもらった契約社員(中身は派遣です)も、それまでの半分以下の単価でこき使われた挙げ句に3ヶ月でクビに。その後、社員で採用された会社では派遣先の会社で上司とそりが合わずに心の病を発症し退職してしまいました。それ以来、細々と病の再発に怯えつつフリーランスで仕事をさせていただいている状況です。

 会社組織に属して仕事をやっておられるSEの方々の中には、フリーランスでやっていきたいという方もいらっしゃるようで「どうなんでしょう?」と相談されることがあります。話を聞いていて、一番、勘違いされていることが多いのが「収入」についてです。外注単価をご存じの方は自分の収入と比較してフリーランスは儲かると勘違いしています。その単価で1年(12ヶ月)フルに仕事があるわけではありません。次に勘違いされているのは「仕事を選ぶことができる」と思われているということです。確かに選べないこともないです。しかし選んでたら生活できません。実際は嫌な仕事もやらないといけないときもあります。そして、これが一番大事なのですが、全てのリスクと責任を自分自身が負わなければならないということ。会社組織に属していると個人を守ってくれてますのでリスクは軽減されます。もちろん会社組織の中での立場が高くなるにつれて負うべきリスクも高くなるのですが、会社という組織は最終的に個人へ責任を負わせない仕組みになっています。それにひきかえフリーランスは全てのリスクと責任がかかってきます。これがなかなかしんどいんですよ。私自身、実際にやっていてそんなに良い生き方とは思えないことを申し述べておきます。

 そのうえで、IT業界でフリーランスという生き方をしたいと考えておられる方、既にフリーランスでやっておられて仲間を求めておられる方、我々フェルマータと一緒に仕事をやりませんか?ひとりで仕事をすると1ヶ月に1人月分の仕事しかとれません。しかし数人いれば数人月分の仕事でもこなせます。自分が暇な時は他の仲間の仕事を手伝います。逆にあぶれる場合は手伝ってもらえます。ただし、あぶれる仕事がない時はそれをあてにできませんし、皆の仕事がないときに仕事はありません。仕事は自分でとってくるのが基本です。そういう繋がりの中でワークシェアが必要ならばやりましょうよという緩い繋がりの集団です。興味がある方はご一報ください。

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